足尾銅山鉱毒事件は、殖産興業、富国強兵政策を 強行する中に起きました。台風によって渡良瀬川を 流れ落ちる泥流は堤防を壊し、一気に農村一帯に襲い かかったのです。 この泥こそ銅山から流れ下った鉱毒だったのです。 川には魚が浮き、稲は立ち枯れ、農漁民の生活は奪 われました。 ときあたかも国会議事堂が開設され、第一回目の 帝国議会が開催された年でした。 栃木県から選出された衆議院議員 田中正造も、 全国から選出された議員として列席していました。 直ぐに議会の解散にあい故郷に帰った正造を迎えた のものは、鉱毒の泥にまみれた田畑と途方に暮れる 村人だったのです。 日がたつにつれ井戸水にも鉱毒がまわり、体をこわす 人、生まれる赤子にも影響が出始め、母乳も汚染 され始めたのです。
写真≫(上)ゆうを演じる三園ゆう子と清次郎役の 藤田祥央
(下)横から見た空舞台